松尾画報

辺境のカンガルーの近況

好奇心

ちょっと前回から話を続けてみましょう。
「写真を撮られると魂を抜かれる」と言われた話。

言ってる側も本気でそう思ってるわけではなくて、
要は「写りたくない」というのが本音なわけで。

「写りたくない」それを実現するために、
理由づけが「魂抜かれる」になっている、ということ。

性格が少々ツイストしている私はそこで思うんです。
じゃあこれは?という事例を聞きたくなる(聞かないけど)。

子供の頃に撮った家族写真とかないんだろうか。
学校行事とか飲み会の最後とか、集合写真撮らなかった?

もうすでに何回か抜けちゃってませんか?
抜けて、戻って、を繰り返すということなんだろうか。

もしくは撮られるたびに、ちょっとずつ抜けちゃうんだろうか。
そういう消耗型なら、確かに撮影するのはちょっと申し訳ない。

…消耗型としたら、1回撮るごとに何グラム抜けるとかあるのかな?
魂の重さは21グラムなんて迷信もあったけど、今、魂残量いくつ?

連写はどうなるの?たまたま写り込んでもアウト?体の一部分だけは?
あ、「写りたくない」と思うときにだけ魂が抜かれるって感じかも。

待て待て、気持ちが結果に反映されるのなら、
「抜けるな!俺の魂ィィ!」って強く思えば耐えれるのかな?

…みたいないろんな疑問がドバッドバッドバッと出てきて、
ひとつひとつ整理や検証をしたくなります。

なんか、揚げ足取りのイヤなやつみたいな言い分ですけど…。
でも気になっちゃう。根拠に対して、検証が進んでなさすぎるもの。

こういう疑問にひとつひとつ答えを出していくと、
漫画やゲームの設定づくりみたいになっちゃいますよね。

あんまり突き詰めると人を不快な気分にさせそうなので、
いろいろ許容して、ニコニコ生きていこうと思います。