松尾画報

辺境のカンガルーの近況

テキトーに

先日、とある作家のエッセイを読んでいると、

こんな感じのことが書かれていました。

 

 

 

1作目と2作目はテキトーに、感覚的に、思いつくままに書きましてん。

3作目からがきっちり身を入れて書き出した、本当の意味でのスタートですねん。

 

 

 

なぜかこてこての関西弁で再現しちゃいましたけど、そこはまあ置いといて。

まあまあショッキングな内容でした、私にとっては。

というのも、私が大学生のときに、

その作家さんの1作目について論文を書いたことあるんです。

 

 

 

1作目の時点で、その後の作品で扱われるテーマやモチーフが散見される。

だから彼は1作目の時点で既に書きたいテーマがあり、

作品を重ねていくごとに各テーマをより深く掘り下げていって云々。

 

 

 

要は、5作目くらいで重要な意味を持って扱っているモチーフが、

1作目のこの何気ないシーンにちらっと出てたりするよ、と。

1作目から一貫したテーマを持って書いていたんだよ、彼は。

というような感じの論文でした、ざっくり言えば。

 

けどまあ、そのエッセイには書いてあるわけです。

「1作目はテキトーですねん、思いつくままに書いただけですねん」と。

いやまあ、文学研究なんていろんな観点から見れますし、

テキトーに書いたのに滲み出てる、みたいな考え方もできますけど。

 

なかなか破壊力のある一文でしたね。

「あのときのアレ、テキトーですねん、実は」

なんだか、ちょっと言ってみたくもあります。

テキトーですねん、もうほんと、いろいろテキトーですねん。ってね。