松尾画報

辺境のカンガルーの近況

RPG

前回と同じ感じのイメージとか記憶のお話しで。
最近は全然やらなくなりましたけど、
RPGゲームも同じような傾向がありますね。

私、ギリギリファミコン世代なものですから、
周りの友達も含めて、小中学生のときはそれなりにゲームをしました。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーで育ったわけで。

あんなに楽しかったものがなぜか急に興味がなくなり、
いつしか昔の思い出だけでしか会話できなくなるものです。
今でも好きな人はたくさんいますけどね、周りにも。

恋愛感情と似てますね、なんだか。
音楽とか服とかも、若いときに好きなものは総じてそういう傾向。
一歩引いて見れるようになると、その情熱がときに滑稽に見えることも。

思えばゲーム市場が飽和した2000年頃(ハシモト調べ)にはすでに、
昔やったゲームのリメイクとかがぼちぼち出てきてるわけです。
初期の発展・成熟期から、基本的には大きく変わってないのかも。

それで数年、数十年ぶりにやってみると、
覚えていたシーンとそうでないシーンがある。
前回のお話、昔読んだ本と全く同じです。

ああ、これはこういうストーリーだったわ、とか。
ああ、この敵はすっごく嫌らしい攻撃するんだった、とか。
ああ、このシーンはすごく世界が広がった気がしたな、とか。

けど意外とそういうのって、序盤に集まってたりします、私の場合。
勢いよくのめり込んで割とすぐに冷めちゃうのは、昔からそうだったのかも。
「覚えてた一部のイメージを作品全体のイメージにしちゃう」という傾向。

老人ホームに入ったら、またみんなでやりたいなぁ。
人がやってるのを見るのも面白いですよね、遊戯全般って。
なんのかんの、素敵で恵まれた時代だと思うところもありますね。