松尾画報

辺境のカンガルーの近況

クラクション

もうひとつだけね、キンクスからのお話し。
彼ら、「エイプマン」という曲があるんです。1970年発表の曲。
ざっくり言えば、文明社会への批判のような歌。
ある意味、シニカルで英国人らしい曲。

この世の中が平和だなんて思えないよ
僕は核戦争で死にたくなんてないんだ
海のずっと向こうまで逃げて
エイプマンとして暮らしたいんだよ

ヒトは進化して 都市と交通渋滞をつくった
けどさ 僕はわずかな可能性がほしいんだ
服なんてもう脱ぎ捨てちゃってね
ジャングルでエイプマンとして暮らすっていうね

みたいなそんな感じの歌です。
まあ、歌詞の内容はとりあえず置いといてですね。
この曲、イントロで車のクラクションと走行音が鳴るんです。
ファ!ファーーン!ブルーン!と。

別のアーティストの87年の曲にも似たようなのがあります。
スティングの「Englishman in New York」。映画「レオン」の主題歌の人。
ニューヨークに馴染めない英国人の歌、その間奏にも出てきます。
激しいドラミングとともに、渋滞してそうなクラクションがたくさん。

たぶん探せば他にもあるんでしょうけど、
クラクションと言えば、この2曲がすぐに浮かびます、私は。

時々「都市感」の象徴として車の音は扱われますね。
ざわめき、喧騒、いらだち、不調和、ときには賑やか、などなどのイメージとともに。
空撮の都市の画と重なって、聞こえてきませんか、クラクションの音。
そしてそれに不快感を覚える人間の画。

今から50年前にはもう自動車は一般的に普及していたので、
クラクション=「都市感」「不快感」みたいな表現方法は、今でも通じます。
でもちょっと待ってください、50年後はどうでしょう。
50年後って車のクラクション、もうなかったりするんじゃないでしょうか。

自動運転になっちゃって、クラクション自体が非搭載とか。
そうするとこういう表現自体も、もう通じないかもしれない。
「みんながそう感じられない」から、通じないわけです。
その時代や、なんならそのコミュニティでのみ、強く響く表現もありますもんね。

そう考えると、エイプマンがリリースされた頃の世の中の空気は、
一体どういう感じだったんだろう?どう受け止められたんだろう?
みたいな考え方しながら音楽聴くのも、また楽しいものですね。
音楽というより社会学的な楽しみ方でしょうか。よくわからないけど。

よーし、そんなことについて書かれた本ないかなー。
みたいなことを机上から検索できる世の中ってすごいですね、ほんと。
そしてやっぱりあんまり数がないなー、キンクス関連の本。
ビートルズは探しきれないほどたくさんあるのにねぇ…。

というような日々を送っているわけです。
いろんな物事に対して、いろんな方向性で挑むことこそ、
人生の楽しみのひとつだと思うんですよ。
私、21世紀のエイプマンとしてはね。