辺境のカンガルーの近況
崩し
前回・前々回と真逆かもしれない考え。
ここ半年くらいでよく思うのが、
「あとどれくらいの時間が残っているんだろう?」ということ。
今のところ心身ともに大きな問題もないですけど、
健康問題とは関係なく歳の問題、意識の問題ですね。
そう、歳を取った。おそらく人生半分過ぎた。
って書いてる間に何かの発作が起こるかもしれないし、
明日、不意に交通事故に巻き込まれるかもしれない。
そういうの、何歳でも誰にでもあり得ますけど。
「残された時間はどれだけなんだ?」と考えます。
けど考えたって答えなんて出ないので考え方を変えて、
「残された時間で何をしたいか?」を考えます。
やりたいことは、もちろんたくさんありますよ。
行きたいとこ、見たいもの、食べたいもの。
それもわりと一般論でみんな考えることですね。
もう少しややっこしく考えてみるとですね。
「どう生きたいか?」ということになりますよね、やっぱ。
おぁ、いちご狩り以来、哲学めいてるのかな、私。
そりゃあ、今まで生きてきた中で哲学めいたものは持ってます。
自信も誇りもあるし、価値を認めているからこそ、
敢えてとらわれずに投げ出すことすら可能かもしれない。
型にとらわれずにやることも大事かもな、と思います。
型がそれなりに定まってるから、なおのこと。
ときには崩してみることも、真剣に検討するべきだよなぁ。
いやね、別に人間関係リセットとかではなく。
海外移住とかでもなく、今ある日常を少し崩してみる。
んー、今日の帰り、いつも降りない駅でふらっと降りてみるか。
とりあえずは、そんなところから崩してみましょうか。
まずは認めることができつつあるだけでも、よしとしましょうか。
「たぶん半分過ぎたぞ、さあ、真剣に考えろ、ときには崩せ」と。
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