松尾画報

辺境のカンガルーの近況

いい距離感

例によって、先日のブログでちらっと触れたことを蒸し返してみます。

「音楽とは近すぎず遠すぎずのいい距離感を見つけた」というくだりの話なんですが、

「音楽」の部分を別の言葉に変えてもいいかと思います。

物事との距離感のお話です。

 

 

私、学生時代は音楽が大好きで、毎日、音楽に関する刺激にあふれていました。

聴く方もですし、演奏する方にもものすごくハマっておりました。

かっこいい音楽ってこうあるべきだ、みたいな妙なこだわりがすごかったんです。

なんならそれが人生観にも波及するようなタチの悪さでした。

 

 

「歪んだサウンドのギターが鳴っていない音楽なんて聴く気しないぜ」

といった感じの偏った考えを持っていました、学生の頃は。

歪んでるのはお前の心だよこの若僧が!と当時のハシモトを怒鳴りつけてやりたいですね。

周りもそんな学生音楽仲間ばっかりでした。

 

 

社会人になって時間が限られてからも、仲間たちとなんとなくスタジオに入り続けます。

年を重ねるに従って、聴く音楽も演奏スタイルも変わっていきます。

ちょっとマニアックな音楽を聴いてみたり、変則的な編成のバンドを組んでみたり。

音楽を通じての人付き合いも増え、20代社会人の休日の趣味として、とても充実していました。

 

 

周りの仲間達の環境も徐々にかわっていきます。

イベントやスタジオの運営をはじめる人、レコード会社と契約までこぎつける人、

音楽自体から遠ざかっちゃう人、ライブや録音をマイペースに続けている人。

そういう動きも、30歳を過ぎたあたりから徐々に下火になっていくわけです。

 

 

どんな物事でも、ハマったときの燃えあがりは熱いものです。

それが、望ましい下降線で落ち着いていった感じですね。

最近はろくに演奏もせず、ろくに聴いてもいませんが、

火が消えちゃったわけではないので、頑張ればわりといつでも再燃可能です。

 

 

学生時代とは全く逆で、大体の音楽に良さを見出せます。

もちろん好みの音楽はあるのですが、そうでない音楽でも、

「◯◯◯なシチュエーションで聴くのにはいいかもしれない」

というように、何かしらのポジティブな要素を見つけることができます。

 

 

満足いくまでひと通りやった感があるんでしょうね。

音楽に対して、現状以上の何かを求めないわけです。

でもとてもよく親しんでいたので、楽しみ方を熟知していて幅もあります。

普段からなくてもいいけど、求めるときはさっと取り出して楽しめるわけです。

 

 

まあでも、何が良かったかって結局のところ、

今だに休日に会うような仲間や、そんな仲間達と共通の思い出があることですね。

趣味の音楽っていいものですね。いやもう、別に音楽である必要ないですね。

映画でもスポーツでも将棋でも仕事でも、なんでもよかった気がします。

 

 

物事とのいい距離感、しっかり見つけたいものですね。

いつでもさっと取り出したり再燃させられるこの感じ、好きだなぁ。