『心呼吸』by柴犬
光る君へ③
「光る君へ」の神回について語りたいと思います。36話「待ち望まれた日」は私の中で神回でした。彰子の懐妊・出産、お食い初めの日の宴が主な内容です。道長の今までの心配、苦労が報われ、親として安堵した瞬間でした。
彰子の出産は30時間を越えた難産でしたが、当時は難産は物の怪の仕業と考えられていました。当時の様子を忠実に再現した祈祷の儀式があまりにも仰々しく鬼気迫っていて、私は思わず笑ってしまいました。医療が進歩していなかった平安時代は、お産は生きるか死ぬかの一大事、未解明ゆえに、とても謎めいたものだったんですね。
彰子に瑕(きず)について問われたまひろは、「瑕とは大切な宝なのでございますよ。瑕こそ、人をその人足らしめるものにございますれば…」と説きます。「人には光もあれば影もあります。人とはそういう生き物なのです。そして複雑であればあるほど魅力があるのです。」とその前にも話していました。私も今なら、その意味がよく理解出来ますが、まひろは30歳前後で、そんな風に人を捉えていたんですね。さすが達観しています。
道長との絆も描かれていました。同じ柱にもたれて、同じ月を見上げる2人。お食い初めの宴では、公任とまひろの様子に嫉妬した道長が、まひろを呼んで歌を詠ませ、その歌に即座に道長が隣に座って返歌します。阿吽の呼吸でした。若い頃の恋愛よりも、この回の2人に私は一番ときめきました。もう肉体関係はなくても魂は触れ合っているとわかるシーンだったからです。実際の道長と紫式部には恋愛関係があった可能性は極めて低いとされており、主軸のラブストーリーはフィクションになりますが、時代に大きな爪痕を残した2人が、魂で繋がれていた2人だとしたら・・と想像すると、それはとても理想的な関係で素敵だなと思います。
「光る君へ」、超大作でした。とても面白かったし勉強になりました。魂で繋がっている関係(ソウルメイト)は尊いですね。まだまだ語りたいことはありますが、今回で「光る君へ」の感想は終わります。